[邦文写真植字発明100周年記念] 対談 橋本和夫×中村征宏(聞き手:雪 朱里) 第2回 デザイン書体が広げた可能性

写研から数多くの新書体が生まれた1960~1990年代にかけて、その誕生に大きくたずさわったのが、橋本和夫さんと中村征宏さんです。橋本さんは写研における書体デザインの責任者として、その時期に生まれたほぼすべての書体の監修を担当。そして中村さんはフリーランスの書体デザイナーとして、数々の斬新なデザインを生み出し、時代をつくってきました。内と外からそれぞれ写研書体を支えたおふたりに対談していただきました。今回は第2回目です。(聞き手・文:雪 朱里/写真:髙橋 榮)
第1回

部品としての文字、製品としての書体

—— あらためて、中村さんが第1回 石井賞 創作タイプフェイスコンテストに応募されたパネルを拝見すると、とてもきれいですね……。さっき昭子さん(中村夫人の昭子さんも対談に同席)が「あれ、白入れてないの?」とおっしゃっていましたけど、ほとんどホワイトによる修整が入っていないのでは。

すごくきれい。

コンテストの応募パネルの文字の美しさに感心する中村昭子さん

いや、私はかなり修整を入れたつもりでおりますけど……。

中村さんの原字は、ほとんどホワイトが入っていないですよ。

そうでしょうか。

「細丸ゴシック(ナール)」の応募パネルのアップ。わずかにホワイトが入っているのが見える

—— 1970年当時、コンテストで審査員をされた原弘氏のコメントを拝見すると、当時「丸ゴシックは古くさい」というイメージだったんでしょうか。

そうですね。このころは、丸ゴシックは古い書体と思われていました。

—— そういう時代のなかで、まったく新しい丸ゴシックを生み出したのが、すごい。

私のなかではそんなにすごいことではないんです。テレビのテロップの仕事で書いていた文字が基本になっている。それから、デザインをするときに写植屋さんに発注する原稿を書いていたんですが、タイトルやサブタイトルの大きな文字は、シャープペンシルで「ここにこの文字が入る」と文字そのものを書き込むんですね。その文字が、意外にナールに近いんです。
ですから、テロップの文字と、写植の指定紙にシャープペンシルで書き込んだ文字を合わせたものが、ナールのもとになっています。日頃の仕事で書いていた文字を清書したようなものなので、私自身としては、「新しいアイデアを出してやるぞ!」と意気込んだわけではありません。

—— 中村さんのエッセイ「私が手がけた写研書体 ~ナール誕生秘話~」を拝見すると、コンテスト応募文字の「細丸ゴシック」をつくるとき、最初は10mm角で文字を書いたと……。

はい。ラフ案のときは、文房具店でグラフ用紙を買ってきて、その方眼の10mm角のなかにシャープペンシルで文字を書きました。

—— 10mm角とは、すごく小さいですね。原字としてあまり聞いたことがないサイズです。

シャープペンシルの線は細い(0.5mm)ですから、10mm角ぐらいがちょうどいい大きさなんです。

—— それを、応募用原字用紙の48mm角に拡大して書くと。最初のラフでは小さく書き、拡大して清書するのはなぜなんですか。

シャープペンシルで48mm角に文字を書いていると、全体のバランスがわかりにくいんです。バランスが把握しやすいのは10mm角ぐらいなんですね。

小さいほうが、全体が見えますよね。

—— 最初から大きく書いてしまうと、細部はきれいにできるけれども、全体が見られない。

バランスが崩れますね。

だからナール製品化の時も、毎月400字ずつの原字を送り、橋本さんにチェックしていただいたあと、文字を縮小してテスト印字をしていただいていました。

仮の文字盤をつくり、文章にも使えるぐらいの大きさ……、38級(9.5mm角)ぐらいだったかな。その大きさでテスト印字して、納品された原字と一緒に中村さんに返送していました。

制作した文字全部のテスト印字をいただいて、それを見ながら、おおもとの48mm角の原字用紙を修整したんです。

ぼくも監修をしてみてわかったんですが、結局、タイプフェイスの文字というのは製品の一つの部品なんですね。一つの文字だけで製品になるわけじゃなくて、いくつもの文字で文章を組んで、初めて製品になる。
だから中村さんがおっしゃるように、最初に小さく書いて全体を見るというのは、製品になった姿をまず見るということ。その状態で「この製品は、こういう感じだ」と確認する。そのあと48mm角に拡大して原字を書くのは、製品を分解して部品の一つをつくるのと同じことなんですね。一つの文字をつくることが、その書体をつくっていることみたいに思う人もいるけれど、そうではなくて、一つの文字はあくまでも部品に過ぎない。だから、一つの文字の形がOKだったからといって、そのほかの文字は必ずしもOKとは限らない。
しかも文字というのは、5,000字なら5,000種類つくらなくちゃならないんですよね。

—— ひとつとして同じ文字はないですものね。

そうなんです。でも、ひとつひとつの部品……、一文字一文字の品質がよくなければ、文章を組んだときにおかしくなってしまう。一文字だけ黒みの強い文字があれば、文章にしたときにその部分が真っ黒になってしまうわけですから。
だからやっぱり、デザイナーはまず全体を見て、自分がつくっているのがどういう書体なのかを確認する。そのあとで、今度はひとつひとつに分割して、「東」なら「東」という文字を大きく原字用紙に書く。一文字の品質は非常に大事で、しかも、文章をつくったときに、違う文字を組み合わせて並べられても、全部が同じように並んでいないといけないのがタイプフェイスなんです。ひとつひとつの文字がよいだけでは成り立たない。書体デザインとは、そういう仕事なんですね。

ナールの制作過程について語る中村征宏さん(左)と橋本和夫さん(右)

濁点と半濁点にデザイナーの個性が表れる

—— すべての文字が同じようにそろっていなくてはならないなかで、細丸ゴシック(のちのナール、以下ナールと記述)という書体は、線が極細であること、角や線の先端が丸いことなど、とても難しいですよね。

細い等線で書くというのは、一番難しいことです。すべての太さがそろっていないとダメですから。太いほうが楽なんです。ナールは、ものすごい努力の結晶ですよ。

—— いまであればパソコンで制作しますが、ナールは手で仕上げているというのが本当にすさまじい。ナールは、溝引き(溝つき定規の溝にガラス棒を沿わせつつ、それと平行して同じ手で細筆を持ち、直線を引く手法)で書いたんですか?

直線は溝引きで書きました。曲線や角丸は全部フリーハンドで書いています。フリーハンドですから、必ずホワイトで修整を入れていると思います。

—— 角や先端の丸みも、数値では定めようがないように思うんですが、ご自身の感覚で統一しているんですか?

ほとんど見た目だけで統一しています。

—— ナールが製品化されることになって、5,800字をひとりで書くのは無理だろうと考え、最初はスタッフを2人入れて分担しようとしたとのことですが、見た目での統一ゆえに複数人で書くのが難しかったと……。

全然無理でした。まず、太さがそろわない。そして、コーナーの丸め方もそろいません。それを私が修整したんですが、それがまた、新たに原字を書くよりも時間がかかるんです。これはやっぱりひとりで書かないとまとまらないなと実感しまして、制作を開始して2、3カ月後ぐらいからは、すべてひとりで書きました。

—— そういうこともありつつ、1,000字の書き直しもありつつで、ナールの制作しはじめのころは、本当に大変でしたね。それと、応募パネルを拝見していて思うのは、濁点の位置の独特さです。さきほど橋本さんから「濁点・半濁点はデザインの個性を主張できるところだ」というお話がありましたが、「グ」や「ゾ」など、濁点の位置に驚きました。

ユニークなんですよ。

第1回 石井賞 創作タイプフェイスコンテストの応募パネルより、中村さんの「細丸ゴシック(ナール)」の個性的な濁点、半濁点

本当は濁点をもうすこし大きくしなくちゃいけないんですが、とにかく字面いっぱいに文字を書くのがナールのコンセプトだったので、濁点を入れるスペースがなくて。特に「ズ」は小さくしか濁点が書けなかったので、他の文字も合わせて濁点を小さくしてしまったんです。

—— 確かに「ス」の右上にはほとんどスペースがないですね。あと、下に濁点がついているものもありますね。斬新です。

「フ」や「ク」では、右上に濁点を打つスペースがありません。空いているところに濁点を打とうと考えたら、右下になってしまいました。

—— でも右下の濁点は、製品化のときには右上に直したんですね。

たとえばカタカナの「プ」の半濁点が右下にあると、句点の「。」との区別がつきません。「プ」と読んでもらえればいいけれど、句点だと思われる可能性がある。書体設計においては、誤読が一番おそろしいんですよ。間違って読まれるデザインは避けなくてはいけない。たとえば「土」と「士」で、「士」の下の線を上と同じぐらい長くしてしまうと、どちらの文字だかわからなくなってしまう。そういうことには注意しますね。

—— 中村さん、コンテスト応募用に原字を書く時点では、常識や固定概念にとらわれずに形の新しさを求めたいという気持ちがあったのでしょうか。

「新しい」ということより、当時写植で定番となっていた「印字を切り貼りして文字を詰める」作業をしなくてもよい、「もう字詰めをしなくてもよい」がこの書体のテーマでしたから。だから「できるだけ四角いっぱいに書きましょう」ということだけを心がけました。それ以外のことは、あまり考えておりません。

—— つくるときに一番苦労したのは何の文字ですか?

文字によってそれほど差はありませんが、画数の多い文字はちょっとやっかいでしたね。それから、線の太さをそろえることがもっとも苦労したところです。ナールは48mm角の原字上で線幅を1.5mmにしました。でも定規で0.5mmは測れませんので、最初に1.5mm幅の線を引いたゲージをつくっておいて、原字を書くときに常にそれを上にのせて当ててみては、「だいたい合っているな」と太さを確認して進めました。

タイポスとナールが見せてくれた可能性

—— 第1回コンテストがおこなわれた当時、橋本さんは写研で、明朝体をはじめとするオーソドックスな書体を手がけておられました。初めてナールをご覧になったとき、どう思いましたか。

それはもう、びっくりしましたよね。
われわれは書体をつくる上で「字面」を気にしますが、字面いっぱいに書くなんて読みにくい、と考えてきたんですね。読みやすい書体は、仮名が小さくて、漢字はそれより少し大きいものだと。そういう常識からまるっきり外れた書体ですから。
字面の大きさだけじゃなくて、字の形もそうですね。たとえばひらがなの「ぎ」、上半分を詰めて下半分をガバッと開けるような書き方は普通しない。「ム」だって三角形みたいになってるし、「毎」という文字なんて、縦のハネがまるきりなくなってる。まったくもって、常識的な感覚を超越した形ですよね。
当時は印刷っていうと、明朝体、ゴシック体ぐらいしかなくて、昔からの伝統的な字の形に則ってつくってきた。そういうなかでナールを見て、「デザイン文字というのは、こういう可能性もあるんだ」と認識させてもらいました。

ナールの特殊なデザインの例

—— 第1回目のコンテストでいきなりガツンと。

そのまえに、「もっとユニークな書体があってもいいんだ」と認識させてもらったのが、コンテストを始めるきっかけにもなった「タイポス」でした。グループ・タイポがデザインした書体です。タイポスは、従来の書体デザインの概念を崩しました。ぼくが金属活字メーカーだったモトヤから写研に移ったのは、そういうことを意識してのことでもありました。

—— 新しいものをつくりたいという?

活字ではつくれない書体でも、写植ではつくれるんじゃないかと。

グループ・タイポ(桑山弥三郎、伊藤勝一、林隆男、長田克巳)が制作した「タイポス」は、1969年、写研から文字盤が発売。1970年代に起こる新書体ブームの火付け役となった

—— 中村さんも、タイポスにはかなり影響を受けたとか。

受けました。当時は広告制作の仕事をしていて、写植屋さんに発注をしては印字された印画紙をもらってきて、版下に貼り付ける仕事をしていましたので。写研の書体ばかりを扱う写植屋さんに、しょっちゅう通っていたんです。

—— タイポスの第一印象は。

直感的に、欧文書体Optimaの和文版みたいだなという印象を受けました。Optimaがとても美しい書体ですので、あの感覚が反映されていると感じて、すばらしい書体だなと思いましたね。

—— ご自身の書体が石井賞 創作タイプフェイスコンテストの第1回目で受賞されて、細丸ゴシック(ナール)はまわりからも「新しい書体だ」と口々に言われたと思いますが、そういう声をお聞きになって、どう思いましたか。

それまでの標準的なゴシックや、特に丸ゴシックとはだいぶ違っているかな、とは思いました。フトコロを大き過ぎるぐらい大きくしましたので。石井茂吉先生の石井丸ゴシックは、うんとフトコロの締まった、スタイルのよい丸ゴシックでしたので、ナールはそれとは真逆の文字ですね。
橋本さんに監修をしていただいたなかで記憶に残っているのは、「バランス、たとえば偏と旁の大きさを全部そろえると平凡な文字になってしまうから、このままでいいんじゃないか」という言葉です。「そろえたら平凡になるんだ!」と。私はその当時、まだそこまでわかっていなかったんですが、橋本さんのお言葉で、「なんでもバランスをそろえすぎちゃいけないんだな」と気づきました。

偏と旁を同じ大きさに書くと、いかにもくっつけたような、作字したような字になるんですよね。作字したような字というのは、ぼくが一番嫌う文字なんです。中村さんの字はおおらかですね。

石井茂吉制作の「石井細丸ゴシック(LR)」。フトコロの狭い、クラシックな雰囲気の丸ゴシック体
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橋本 和夫

はしもと・かずお。書体設計士 1935年2月、大阪市生まれ。
エッセイ「文字は空気か水のようなもの」

中村 征宏

なかむら・ゆきひろ。書体デザイナー 1942年 三重県三重郡生まれ。
エッセイ「私が手がけた写研書体」~ナール誕生秘話~

雪 朱里

ゆき・あかり。著述業 1971年生まれ。
エッセイ「石井茂吉の描いた未来」